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ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか 

ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか」という本を読みました。

日本の中学校や高校で、スポーツをやろうと思うと、部活動がメインとなります。
部活動の顧問の担当になった教師は、土日も、試合や大会の引率で休む暇がありません。

一方、ドイツでは、スポーツが行われているのは、部活動ではなく地域のスポーツクラブです。
これは日本にはないもので、子どもから高齢者まで地域の人たちが幅広く集まる場です。
競技、というより楽しむ場、であり、交流する場となっています。

こういうことができるのは、スポーツクラブ、という伝統があるためだけでなく、働き方の違いも大きいのです。
ドイツではそもそも学校の授業は半日で終わります。
働く人々も、残業がなく定時で帰宅、通勤時間も30分以内の人がほとんど、というところも日本との大きな違いです。
日本の長時間労働や、長い通勤時間のままで、ドイツのスポーツクラブの仕組みを持ち込んだところで、無理な話です。

またドイツのスポーツクラブでは、上下関係というものがなく、メンバー同士は「ため口」で呼び合う仕組みになっています。
日本の「体育会系」と呼ばれる運動部とは大違いですね。

多くの人がスポーツを楽しむためには、まず働き方を変えないと、ということですね。


Amazonへのリンク、画像が貼れなくなってしまったようなので、テキストのみのリンクになります。
「ドイツの学校には なぜ 「部活」 がないのかー非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間 単行本(ソフトカバー) 」
高松平藏 (著)出版社 ‏ : ‎ 晃洋書房 (2020/11/27)
発売日 ‏ : ‎ 2020/11/27



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認知症の人とアートを鑑賞すると何が起きるか?「アートリップ入門 認知症のうつ・イライラを改善する対話型アート鑑賞プログラム」 

「アートリップ入門: 認知症のうつ・イライラを改善する対話型アート鑑賞プログラム」は、認知症の方たちと対話しながらアートを鑑賞することで、起きる効果について紹介しています。

「アートリップ」(アートの旅)は、認知症の方とそのご家族、介護士の方たちが一緒にアートを見つめて、気づいたこと、感じたこと、思ったことを自由に話し合うプログラム。
経験のあるアートコンダクターが参加者にとって安心できる時間と空間を作りだすことによってその効果が発揮できます。

認知症の方の思いを否定せず、思い出を導き出し、一人の人間として扱うこと。
参加者は自分が言ったことがそのまま受け入れられることにより、プログラムを楽しみ、認知症という病によって失われてきた自尊心が高められ、一緒に参加したご家族との関係も改善する、ということです。

素敵なプログラムですね。

コロナ禍で一時中断したそうですが、オンラインなどで再開しているようです。
このような取り組みが全国各地に広まるといいですね。

「アートリップ入門: 認知症のうつ・イライラを改善する対話型アート鑑賞プログラム」 単行本 – 2020/8/5
林 容子 (著)



これを読んで思い出したのが、下記の本たち。
アートには正解がない、見る人ごとに違っていて、それがすべて正解、というのが今の時代、大切なことなのかもしれません。

「教えない授業――美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方」
単行本(ソフトカバー) – 2019/4/17
鈴木有紀 (著)


「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」
単行本 – 2021/9/3
川内 有緒 (著)



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合格ラインが100点以上の仕事とは?「文にあたる」(牟田都子)を読む 

「文にあたる」は、校正を仕事としている著者によるお仕事エッセーです。

校正という仕事のあれこれについて、詳しく書いてあり、本を一冊出版するということが、こんなに大変なのか、という一端を知ることができました。本だけでなく雑誌などあらゆる印刷物で校正という仕事が必要とされ、チラシの場合、校正のミスで多額の損失を引き起こすこともあるといいます。

また、誤植が限りなくゼロに近かったとしても、ある人にとっては有害な本もあります。読む人を傷つけるような、ある特定の属性を持つ人たちへの差別や偏見を助長するような表現や内容についても目を配っているのだそうです。

校正は減点方式の仕事、「百点満点で採点するとしたら、合格ラインは百点以上。つまり、最低でも百点ということです。」というところが、自分のやっている仕事と似ているなあと印象に残りました。

本や活字、言葉に対する愛情があふれる1冊でした。
この本を校正する人はものすごく神経を使ったことでしょう。

「文にあたる」
単行本(ソフトカバー) – 2022/8/10
牟田 都子 (著)
‎亜紀書房



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「ピンクとブルーに分けない育児」とは? 

「ピンクとブルーに分けない育児――ジェンダー・クリエイティブな子育ての記録」を読みました。

著者のカイル・マイヤーズは、自分の赤ちゃんを、ジェンダーにとらわれずに育てようと決めて、それを実践しました。
赤ちゃんを外性器によってジェンダーを決めずに、つまり「男の子」あるいは「女の子」として扱わずに、好きな色、好きなキャラクター、好きなおもちゃを自分で選ぶようにさせたのです。

子どもの性別を知りたがる通りすがりの大人たちとの攻防。
夫婦それぞれの両親にジェンダー・クリエイティブな子育てをすることを決めたことを知らせる前のためらいや戸惑い。

プールでのアクティビティのチラシで「女児には人魚のしっぽ、男児にはサメのひれを付けます」というのを見て、がっかりしたり、幼児向けの陸上競技大会で、男女別に走らせると知り、参加を断念したことも。

いろんなことに出会いますが、カイルと夫のブレントは、ズーマーと名付けた子どもとともに様々な苦労を乗り越えていきます。

男の子だから、女の子だから、と可能性を狭められることなく、生きること。
そのための障害がたくさんあることを認識させられます。

英語圏では代名詞があるので、赤ちゃんの性別がわからないと会話が困る、というのがネックになります。
heでもなくsheでもなく代わりに「they/them」で表現することに、ズーマーの周囲の人たちは慣れていくのです。
日本語は、必ずしもジェンダーを意識した代名詞を使わなくても会話が成り立つので、英語圏よりもジェンダー・クリエイティブな子育てはしやすいのかも、と思ってしまいました。

最近は履歴書の性別欄をなくそう、という動きもあります。
アンケートに性別欄は要らないのでは?と提案することもあります。
「男・女・その他」というアンケート欄を見かけることもあり、がっかりしてしまいます。「男・女・回答しない」という選択肢ならまだしも「その他」という選択肢を選ぶ人の気持ちを考えないのかな、と思ってしまいます。
ジェンダーについて考える人がもっと増えるように、カイルのような取り組みを知らせることは有意義だと感じました。




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ヤングケアラーについて知るためのおすすめ本 

「私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記」を、同僚に勧められて読みました。

小学生のゆいは、統合失調症の母と、会社員の父、認知症の祖父、そして弟と暮らしています。
母は体調が悪い日のほうが多く、一家の家事は、ゆいが1人で担っています。
時には母から包丁を向けられ、あるいは父の浮気を疑った母から父の会社に行くよう命令され学校を休む、そんな日々でした。
「困っていることはない?」と教師に尋ねられても、別に困ってはいないか、と「困ってないです」と答え、正直に話したところで大人は助けてくれるわけではない。
自分の感情を殺し、ロボットになることで乗り切ろうとしたゆい。
大学生になってお気楽な周囲の学生との感覚の違いに、「私だけ年を取っているみたいだ」と感じたりします。

本書は、特定の個人ではなく複数のヤングケアラーの体験をもとに描いたコミックですが、どの出来事も実際にあったエピソードなのだそう。
ヤングケアラーの実態について知りたい人は、まずこの本を読んでみてください。



他に私が読んだヤングケアラー関連の本をいくつかご紹介します。
「ヤングケアラー わたしの語り――子どもや若者が経験した家族のケア・介護」は、実際にヤングケアラーだった人たちの手記。
難病の母を支える少年、重度心身障害者である妹と暮らす「きょうだい児」、聞こえない両親と暮らす健聴の子どもの悩み、など、さまざまなヤングケアラーが自分の言葉で語ります。
学校の同級生には自分のことを話せない、という気持ち。
かわいそう、と見られがちではあるが、家族への愛情があってケアをしているのだからこれでいいのだ、という肯定的な気持ちについても知ることができました。
家族の介護やケアのために、子どもらしい生活ができない子どもたちがいることを、大人は無関心でいてはいけないと思いました。



「「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう"子どもたちの孤立」は、ヤングケアラーの当事者や経験者への聞き書きです。
覚せい剤依存症の母親と暮らしているAさんは、そのことを大人に相談できないというつらさをかかえています。
コーダ(ろう者の両親をもつ健聴の子ども)は、親のために通訳をしなければなりませんが、手話通訳をしているとメモも取れず、話の内容を覚えていることはできませんが、親は娘が聞いているだろうと思って覚えていない、ということが起きてしまいます。
この本では、ヤングケアラーや困りごとをかかえた子どもたちの「居場所」の大切さについて述べています。



こちらはこれから読みます。


ヤングケアラーは、当事者から相談されないからといって、困っていないわけではない、ということを大人が理解しないといけないのだということを忘れないようにしたいものです。

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